ノートラシオス、ノー共闘
2017年6月4日 理論共闘持ち、引いては《トリトンの英雄、トラシオス》の問題点が引き起こす壁に直面している。
《激情の薬瓶砕き》を手に入れて、いざデッキを組もうと思った時、最初に考えるのは相方となる共闘持ちであった。
《激情の薬瓶砕き》は特性上固有色に青を強く必要とする。これは強力な高コストのインスタントスペルに加えて、インスタントキャストを可能とする《予期の力戦》の存在があるためである。そうなったときに青の共闘持ち且つノーリスクで緑が足せる《トリトンの英雄、トラシオス》を使わない理由がない。そうなると普通に無限マナからそれで勝てばいいので、《激情の薬瓶砕き》は《トリトンの英雄、トラシオス》を使いつつ白抜き4Cにするためのカラーマーカーとしての役割が強くなってしまう。これでは本末転倒だ。強すぎるが故に共闘の価値、というより共闘の多様性を失わせてしまっている。
統率者セット特有のキーワード能力はどれも失敗だ。中には弱すぎてどうでもいいようなものもあるが、この共闘の欠陥は種類の多さも相まってミスの大きさが違う。《トリトンの英雄、トラシオス》、これさえなければ共闘も研究の余地があったことだろう。
日本人は何故か公式を重んじる。私もそうだ。個人で勝手に禁止にしてろというのはお門違い。是非協会にこの事実に気がついてもらって、《トリトンの英雄、トラシオス》を禁止にしてほしいと思うこの頃である。
それでは。
《激情の薬瓶砕き》を手に入れて、いざデッキを組もうと思った時、最初に考えるのは相方となる共闘持ちであった。
《激情の薬瓶砕き》は特性上固有色に青を強く必要とする。これは強力な高コストのインスタントスペルに加えて、インスタントキャストを可能とする《予期の力戦》の存在があるためである。そうなったときに青の共闘持ち且つノーリスクで緑が足せる《トリトンの英雄、トラシオス》を使わない理由がない。そうなると普通に無限マナからそれで勝てばいいので、《激情の薬瓶砕き》は《トリトンの英雄、トラシオス》を使いつつ白抜き4Cにするためのカラーマーカーとしての役割が強くなってしまう。これでは本末転倒だ。強すぎるが故に共闘の価値、というより共闘の多様性を失わせてしまっている。
統率者セット特有のキーワード能力はどれも失敗だ。中には弱すぎてどうでもいいようなものもあるが、この共闘の欠陥は種類の多さも相まってミスの大きさが違う。《トリトンの英雄、トラシオス》、これさえなければ共闘も研究の余地があったことだろう。
日本人は何故か公式を重んじる。私もそうだ。個人で勝手に禁止にしてろというのはお門違い。是非協会にこの事実に気がついてもらって、《トリトンの英雄、トラシオス》を禁止にしてほしいと思うこの頃である。
それでは。
停滞していた私のEDH構築に一石を投じる新フォーマット、トライバルEDH(TEDH)について導入と実際のプレイ感について。
準ガチ環境と呼べるほどには勝ちに執着していた我々の環境に突如現れた【ミノタウルス】。アモンケットのコモンカードすら入っているこのデッキに私は心が打ちのめされた。この心意気に応えるべく私がコミュニティに提唱したのが部族EDHだった。しかしこれの導入にはいくつかの問題があった。
一つは強すぎる部族の存在だ。【エルフ】だったり【ゴブリン】だったりは通常構築でもお呼びがかかるほど強力で、普通に縛った構築になるTEDHでは一方的な試合になってしまうのではないかという危惧があった。しかし私はこれらの部族が強いという理由で使えなくなった結果、好きな部族が使えないという事態、つまり無駄な束縛を増やしたくなかった。そこで私が提唱したのは「空気を読め」ということだった。「この世(環境)に最初にあったのは【ミノタウルス】である事実を考慮しろ」ということだ。
もう一つは部族でないところでの強すぎる要素の検閲だ。部族以外のクリーチャーの総数は予めフォーマットされているものの、それ以外の支配的なクリーチャーや、部族縛りの管轄外となるノンクリーチャースペルは何かしらの対策が必要だった。これを解決するために導入すべきだとしたのが「物言い」と「基本土地縛り」だ。
「物言い」はネットに流れていた言葉で、悪く言えば「相手のカードにケチををつける行為」である。ここで何故こんな言い方をしたのかというと、このように悪い言い方も出来るということを強調したかったからである。ただわかって欲しい。この行為はただそのカードが気に入らないから言っているわけではない。そのカードはあまりにも部族に関係がなく、また支配的なせいで部族よりも強く目に止まってしまうからイエローカードを出すのだ。勿論実際に抜くがどうかは本人の意志、強制はできないが。
「基本土地縛り」に関しては多色の強さを抑える試みだ。これは私もかなり気に入っていて、3色を使っていていかに日頃マナベースに恵まれていたのかということが痛感できる。何でもない二色デッキが主要色の色が出なくて笑い草になるのもまた一興。三色四色ともなると偏らせても一色でない時もザラ。さらに土地が競合しないお陰で一般のEDHデッキも作りやすいということで今後も推し進めていきたい。
とここまでが導入。ここからが実際のプレイ感を。
日頃(私は)慣れ親しんでいなかったビートダウンができるという新鮮さがあった。中には無限コンボ関連で迷走している者もいるようだがおおよそ快適にゲームができていると実感できる。また普段のEDHよりもカードに愛着が持てるということに驚いた。組んだのは【スフィンクス】だがすでにクリーチャーをFoil化し始めている。
まだまだ議論の余地が多く手探りなフォーマットだが、このTEDHの考察も本格的に取り扱っていこうと思う。
無関係な近況だが、今回の記事はDvorakJPで書いてみた。日に日に速度は向上しているが快適とは言い難い。精進したい。
それでは。
準ガチ環境と呼べるほどには勝ちに執着していた我々の環境に突如現れた【ミノタウルス】。アモンケットのコモンカードすら入っているこのデッキに私は心が打ちのめされた。この心意気に応えるべく私がコミュニティに提唱したのが部族EDHだった。しかしこれの導入にはいくつかの問題があった。
一つは強すぎる部族の存在だ。【エルフ】だったり【ゴブリン】だったりは通常構築でもお呼びがかかるほど強力で、普通に縛った構築になるTEDHでは一方的な試合になってしまうのではないかという危惧があった。しかし私はこれらの部族が強いという理由で使えなくなった結果、好きな部族が使えないという事態、つまり無駄な束縛を増やしたくなかった。そこで私が提唱したのは「空気を読め」ということだった。「この世(環境)に最初にあったのは【ミノタウルス】である事実を考慮しろ」ということだ。
もう一つは部族でないところでの強すぎる要素の検閲だ。部族以外のクリーチャーの総数は予めフォーマットされているものの、それ以外の支配的なクリーチャーや、部族縛りの管轄外となるノンクリーチャースペルは何かしらの対策が必要だった。これを解決するために導入すべきだとしたのが「物言い」と「基本土地縛り」だ。
「物言い」はネットに流れていた言葉で、悪く言えば「相手のカードにケチををつける行為」である。ここで何故こんな言い方をしたのかというと、このように悪い言い方も出来るということを強調したかったからである。ただわかって欲しい。この行為はただそのカードが気に入らないから言っているわけではない。そのカードはあまりにも部族に関係がなく、また支配的なせいで部族よりも強く目に止まってしまうからイエローカードを出すのだ。勿論実際に抜くがどうかは本人の意志、強制はできないが。
「基本土地縛り」に関しては多色の強さを抑える試みだ。これは私もかなり気に入っていて、3色を使っていていかに日頃マナベースに恵まれていたのかということが痛感できる。何でもない二色デッキが主要色の色が出なくて笑い草になるのもまた一興。三色四色ともなると偏らせても一色でない時もザラ。さらに土地が競合しないお陰で一般のEDHデッキも作りやすいということで今後も推し進めていきたい。
とここまでが導入。ここからが実際のプレイ感を。
日頃(私は)慣れ親しんでいなかったビートダウンができるという新鮮さがあった。中には無限コンボ関連で迷走している者もいるようだがおおよそ快適にゲームができていると実感できる。また普段のEDHよりもカードに愛着が持てるということに驚いた。組んだのは【スフィンクス】だがすでにクリーチャーをFoil化し始めている。
まだまだ議論の余地が多く手探りなフォーマットだが、このTEDHの考察も本格的に取り扱っていこうと思う。
無関係な近況だが、今回の記事はDvorakJPで書いてみた。日に日に速度は向上しているが快適とは言い難い。精進したい。
それでは。
BAN LIST of EDH
2017年4月25日 雑記レガシープレイヤー、ヴィンテージプレイヤーの皆様、お疲れ様です。私はNo Changeが板だと思われていたEDHのBAN LISTの改訂が本業です。
我々のコミュニティでは《トレストの使者、レオヴォルド》は弱いと言う認識だ。使用したときのヘイトの高さが使い手に正常なゲームをさせないほどで、最終的な勝利者になりがたいという理由からである。確かに勝つことも十分可能ではあるが、それなら他の強力な統率者を使った方が良いという傾向にある。いる意味がないのでBANは適当だと私は思った。これは人とは認識が異なるだろう。
《変幻の大男》は1枚で勝てるカードだ。同色では《歯と爪》が近い。これにはEDHをより刺激的なものにしようという協会のチャレンジが表れている。コンボはすでに開発されているものから、カードプールの広さゆえに可能になったコンボまでここでは書ききれない。緑絡みのサクリ台を含めることができるコンボであれば《歯と爪》を越えているだろう。非常に楽しみだ。
ところで《パラドクス装置》も《聖別されたスフィンクス》も《リスティックの研究》も勝手に禁止にしてゲームしてくれということでしょうか。特に《パラドクス装置》に関しては事前禁止について触れていたにも関わらずこのタイミングでノータッチはビックリである。非クリーチャーの5マナファクトぐらいどうにかなるだろうという判断だろうか。中々挑戦的である。
それでは。
我々のコミュニティでは《トレストの使者、レオヴォルド》は弱いと言う認識だ。使用したときのヘイトの高さが使い手に正常なゲームをさせないほどで、最終的な勝利者になりがたいという理由からである。確かに勝つことも十分可能ではあるが、それなら他の強力な統率者を使った方が良いという傾向にある。いる意味がないのでBANは適当だと私は思った。これは人とは認識が異なるだろう。
《変幻の大男》は1枚で勝てるカードだ。同色では《歯と爪》が近い。これにはEDHをより刺激的なものにしようという協会のチャレンジが表れている。コンボはすでに開発されているものから、カードプールの広さゆえに可能になったコンボまでここでは書ききれない。緑絡みのサクリ台を含めることができるコンボであれば《歯と爪》を越えているだろう。非常に楽しみだ。
ところで《パラドクス装置》も《聖別されたスフィンクス》も《リスティックの研究》も勝手に禁止にしてゲームしてくれということでしょうか。特に《パラドクス装置》に関しては事前禁止について触れていたにも関わらずこのタイミングでノータッチはビックリである。非クリーチャーの5マナファクトぐらいどうにかなるだろうという判断だろうか。中々挑戦的である。
それでは。
EDH的アモンケット
2017年4月8日 雑記
・《As Foretold》について
以前《パラドクス装置》が出た時の絶望感は半端ではなかった。確かにEDHで悪さをするカードではあるが、ただ壊れてるだけだった。私がEDHに求めているカードは《パラドクス装置》よりも、この《As Foretold》のようなカードだ。
各ターンであることはEDHでコントロールを行うために非常に強力なバックアップとなる。あるときはカウンターを、ある時はドローを選択できればマナ加速がなくとも円滑なスペルキャストが可能となる。これ自体が割られても失うものはこのカード自身のみであるため、遅いかわりに準備に余分な手間がかからないことが活きる。まず試してみたいカードがこれだ。
・《Kefnet the Mindful》について
もう一つは統率者候補となる青の神、《Kefnet the Mindful》だ。テーロスの青の神、《海の神、タッサ》は同じ3マナだが、恒久的に占術が行えることによるドローの質の向上が目的だったが、アモンケットの神はマナを消費する無限リソースだ。対抗馬は《海の神、タッサ》というより《トリトンの英雄、トラシオス》なのだが、あちらが実質4色まで採択可能である事実に加えて、勝利手段が有色無限か無色無限かでハードルが違いすぎる。ビートダウンするにしてもクリーチャー化の条件とが少し噛み合っていないという風に色々と難のあるジェネラルか。使ってみたい気もするが、ジェネラルではなく、メインデッキのドローソースとしてこれほどの悠長がどこまで許されるかを試してみたいところだ。
それでは。
以前《パラドクス装置》が出た時の絶望感は半端ではなかった。確かにEDHで悪さをするカードではあるが、ただ壊れてるだけだった。私がEDHに求めているカードは《パラドクス装置》よりも、この《As Foretold》のようなカードだ。
各ターンであることはEDHでコントロールを行うために非常に強力なバックアップとなる。あるときはカウンターを、ある時はドローを選択できればマナ加速がなくとも円滑なスペルキャストが可能となる。これ自体が割られても失うものはこのカード自身のみであるため、遅いかわりに準備に余分な手間がかからないことが活きる。まず試してみたいカードがこれだ。
・《Kefnet the Mindful》について
もう一つは統率者候補となる青の神、《Kefnet the Mindful》だ。テーロスの青の神、《海の神、タッサ》は同じ3マナだが、恒久的に占術が行えることによるドローの質の向上が目的だったが、アモンケットの神はマナを消費する無限リソースだ。対抗馬は《海の神、タッサ》というより《トリトンの英雄、トラシオス》なのだが、あちらが実質4色まで採択可能である事実に加えて、勝利手段が有色無限か無色無限かでハードルが違いすぎる。ビートダウンするにしてもクリーチャー化の条件とが少し噛み合っていないという風に色々と難のあるジェネラルか。使ってみたい気もするが、ジェネラルではなく、メインデッキのドローソースとしてこれほどの悠長がどこまで許されるかを試してみたいところだ。
それでは。
「勝つほうが早い」が私に構築をさせない
2017年3月30日 理論ゲームをする以上、最低限勝利に向かわなければゲームが成立しないというのが私の持論だ。勿論楽しむのを全面に出してプレイすることも認めているし、実践もしているつもりだが、「勝利」に対する冒涜だけは著しくゲーム性を失わせるため侵さないようにしている。
遊戯王から半ばMtG(というよりEDH)に移行してからご無沙汰だった遊戯王を最近また触ったのだが、最近気づいた「勝つほうが早い」という概念が全てのゲームに共通する事実であることを再認識して落胆している。
例を挙げると、EDHでいう《浄化の戦術家、デリーヴィー》だろうか。私自身このジェネラルの汎用性・柔軟性は対戦相手として使われているうちから強く評価していて、いつしか自分もこのカードでコントロールデッキが組みたいと思っていた。確かにジェネラルに《浄化の戦術家、デリーヴィー》を据えたデッキは多く思いつくが、どれも「勝つほうが早い」にぶち当たるのが関の山だった。強すぎるジェネラルであるがゆえに「遊び」が「勝つほうが早い」に負け、「勝利」への冒涜となる。私はこれのせいで世界が激しく狭く感じるのだ。
私はとある1枚のカードをフィーチャーしたデッキが好きで、遊戯王でも好きな1枚のカードで勝つために試行錯誤していた。私がやろうとしたことは端的に言えば「勝つのに十分な下準備ができる速度で行った準備を用いて、勝たないアクションを実行する」といったことだった。好きだという理由で弱いカードを使ってるが故の悲しみだが、これがカジュアルだからという理由でどこまで許されるかは個人の線引きによるものだろう。ガチとカジュアルを完全に分離できる人であれば気にしないのかもしれない。ただどんな立場に対してであろうと言えることは「最終的に勝ちに向かうのであれば、なぜ『勝つほうが早い』方法を使わないのか」だ。
これに勝てる理論が欲しい。トーナメントプレイヤーに対して失礼な物言いになるが、もし勝つことだけを考えることができるのであればカードゲームはどれだけ楽なことか、と思うほどの閉塞感を感じている。
それでは。
遊戯王から半ばMtG(というよりEDH)に移行してからご無沙汰だった遊戯王を最近また触ったのだが、最近気づいた「勝つほうが早い」という概念が全てのゲームに共通する事実であることを再認識して落胆している。
例を挙げると、EDHでいう《浄化の戦術家、デリーヴィー》だろうか。私自身このジェネラルの汎用性・柔軟性は対戦相手として使われているうちから強く評価していて、いつしか自分もこのカードでコントロールデッキが組みたいと思っていた。確かにジェネラルに《浄化の戦術家、デリーヴィー》を据えたデッキは多く思いつくが、どれも「勝つほうが早い」にぶち当たるのが関の山だった。強すぎるジェネラルであるがゆえに「遊び」が「勝つほうが早い」に負け、「勝利」への冒涜となる。私はこれのせいで世界が激しく狭く感じるのだ。
私はとある1枚のカードをフィーチャーしたデッキが好きで、遊戯王でも好きな1枚のカードで勝つために試行錯誤していた。私がやろうとしたことは端的に言えば「勝つのに十分な下準備ができる速度で行った準備を用いて、勝たないアクションを実行する」といったことだった。好きだという理由で弱いカードを使ってるが故の悲しみだが、これがカジュアルだからという理由でどこまで許されるかは個人の線引きによるものだろう。ガチとカジュアルを完全に分離できる人であれば気にしないのかもしれない。ただどんな立場に対してであろうと言えることは「最終的に勝ちに向かうのであれば、なぜ『勝つほうが早い』方法を使わないのか」だ。
これに勝てる理論が欲しい。トーナメントプレイヤーに対して失礼な物言いになるが、もし勝つことだけを考えることができるのであればカードゲームはどれだけ楽なことか、と思うほどの閉塞感を感じている。
それでは。
超長期戦に勝つべく〜サイクル型ウィザードループ
2017年3月21日 理論非常にうまく回ったので今後に活かせるメモを。
《芽ぐみ》+《浄土からの生命》はデッキの基本土地が全て出せる勢いだ。《激浪の研究室》+《錬金術師の隠れ家》+CIPウィザードという重いサイクルも回せるぐらいにはマナが出せた。そこからインスタントタイミングで《全ては塵》を使い回せばほぼ勝利だ。
ウィザードループのパーツは土地サーチと《古術師》さえあればマナはかかれど、揃えることは難しくない。《浄土からの生命》も色を増やさないのであれば青緑内で《直観》がお手軽にアクティブいんできる。補色に黒を採ると《納墓》と各種チューターが、白を採ると土地だけ呼ぶなら《雨ざらしの旅人》が強い上、白のボードコントロールカードが採れる。
ヴィダルケンの霊気魔道士
瞬唱の魔導士
粗石の魔導士
古術師
エレンドラの谷の大魔導士
造物の学者、ヴェンセール
神秘の教示者
納墓
吸血の教示者
輪作
直観
Demonic Tutor
浄土からの生命
芽ぐみ
踏査
激浪の研究室
錬金術師の隠れ家
聖遺の塔
各種フェッチランド
今回回したのは《トリトンの英雄、トラシオス》+《求道の達人、サイラス・レン》だったが、これなら浮いたマナを使える《トリトンの英雄、トラシオス》を使うべきではなかったかもしれない。フェッチをすごい勢いで切ることを考えたら《法務官の声、アトラクサ》でもよかったかもしれない。しかし私自身、土地基盤に不安が残る4C統率者は敬遠してる節がある。フェッチ再録でハードルが下がった今、買うべきはデュアルランドか。もしくは《激情の薬瓶砕き》絡みの共闘がよかった。もしそうなら《トリトンの英雄、トラシオス》+《激情の薬瓶砕き》が最善か。どの組み合わせも最善となりうる選択肢になる《トリトンの英雄、トラシオス》、他の共闘のためにも禁止になってほしいとすら思うほど強すぎる。
それでは。
《芽ぐみ》+《浄土からの生命》はデッキの基本土地が全て出せる勢いだ。《激浪の研究室》+《錬金術師の隠れ家》+CIPウィザードという重いサイクルも回せるぐらいにはマナが出せた。そこからインスタントタイミングで《全ては塵》を使い回せばほぼ勝利だ。
ウィザードループのパーツは土地サーチと《古術師》さえあればマナはかかれど、揃えることは難しくない。《浄土からの生命》も色を増やさないのであれば青緑内で《直観》がお手軽にアクティブいんできる。補色に黒を採ると《納墓》と各種チューターが、白を採ると土地だけ呼ぶなら《雨ざらしの旅人》が強い上、白のボードコントロールカードが採れる。
ヴィダルケンの霊気魔道士
瞬唱の魔導士
粗石の魔導士
古術師
エレンドラの谷の大魔導士
造物の学者、ヴェンセール
神秘の教示者
納墓
吸血の教示者
輪作
直観
Demonic Tutor
浄土からの生命
芽ぐみ
踏査
激浪の研究室
錬金術師の隠れ家
聖遺の塔
各種フェッチランド
今回回したのは《トリトンの英雄、トラシオス》+《求道の達人、サイラス・レン》だったが、これなら浮いたマナを使える《トリトンの英雄、トラシオス》を使うべきではなかったかもしれない。フェッチをすごい勢いで切ることを考えたら《法務官の声、アトラクサ》でもよかったかもしれない。しかし私自身、土地基盤に不安が残る4C統率者は敬遠してる節がある。フェッチ再録でハードルが下がった今、買うべきはデュアルランドか。もしくは《激情の薬瓶砕き》絡みの共闘がよかった。もしそうなら《トリトンの英雄、トラシオス》+《激情の薬瓶砕き》が最善か。どの組み合わせも最善となりうる選択肢になる《トリトンの英雄、トラシオス》、他の共闘のためにも禁止になってほしいとすら思うほど強すぎる。
それでは。
【スラクジムンダール】
2017年3月19日 デッキ
ジェネラル(1枚)
スラクジムンダール
クリーチャー(11枚)
ヴィダルケンの霊気魔道士
瞬唱の魔導士
粗石の魔導士
古術師
エレンドラの谷の大魔導士
造物の学者、ヴェンセール
悪意の大梟
概念泥棒
金粉のドレイク
フェアリーの忌み者
ぬいぐるみ人形
インスタント(34枚)
急かし
神秘の教示者
渦まく知識
吸血の教示者
衝動
疑念の影
天才のひらめき
青の太陽の頂点
天才の片鱗
神秘の指導
龍王の大権
時を超えた探索
白鳥の歌
もみ消し
紅蓮破
赤霊破
秘儀の否定
解消
不許可
夢の破れ目
精神壊しの罠
即時却下
誤った指図
意志の力
神秘の合流点
シムルガルの命令
徴用
サイクロンの裂け目
星の嵐
断層
幕切れ
混沌のねじれ
脱出
残忍な切断
ソーサリー(7枚)
商人の巻物
Demonic Tutor
吸心
宝船の巡行
毒の濁流
全ては塵に
苦痛の命令
エンチャント(3枚)
紅蓮炎血
黒死病
不実
アーティファクト(6枚)
師範の占い独楽
忘却石
危険な櫃
爆積み
殴打頭蓋
世界のるつぼ
プレインズウォーカー(2枚)
ソリン・マルコフ
精霊龍、ウギン
土地(36枚)
激浪の研究室
ほか
EDHの構築はその環境によって大きく異なることだろう。多くの人間は驚くはずだ。多めの土地はまだしもマナファクトは0枚、これでもかと積まれた高マナコストカウンター、フィニッシュ手段は0。事実ジェネラルで殴って勝つのがコンセプトだ。参考にならないのも無理はない。
私自身、高速コンボも使ってきたが、思ったことは「虚しい」ということだけだった。さらに言えば高速でなくとも、コンボで勝つことにもう飽きてしまったのだ。勝つのは簡単、簡単に勝つのはもっと簡単だ。難しく勝つとは何かという問答が私にコントロールを目指させた。この【スラクジムンダール】は一応の完成系を見せたコントロールの最終系だ。
まさに「自分専用」ともいうべきこのデッキは、口プレイをメインにしていると言っても良い。これはゲームにコミュニケーションを多く求める私にあったプレイングだ。ヘイトをコントロールをし、ゲーム中は基本的に相手の立場になって最善のプレイングを指摘することが多い。勿論然るべきヘイトコントロールも怠らない。こうした内輪環境が低速環境を呼び、結果高速コンボが生き残りにくい環境を作ることでこのデッキが存在できるという寸法だ。私と、それに賛同してくれる人々の甲斐あってか、コミュニティ内は1ゲーム最低1時間は余裕の超低速環境となった。
このデッキは勝てない。それもそのはずだ。勝ってしまったらこのデッキは「勝つデッキ」になってしまうからだ。この微妙な状態・心理を理解してくれる人はどれだけいるだろうか。「勝つことが必ずしもいいとは限らない」と言ったら少し分かりやすいだろうか。このデッキは最終的な勝者にはなり得ないが、ゲームをメイクするし続けることによって勝利以上の快楽を得ているのだ。
デッキ内容について触れていこう。クリーチャーに関しては「ウィザードバレット」を採用している。最初はパーマネントを最小限にしていく過程でクリーチャーは《瞬唱の魔導士》だけにして《倦怠の宝珠》の形もとったりしたが、《激浪の研究室》が強く、インスタントタイミングの圧力も十分といったことから最近のコントロールではこれをメインに回している。
除去はマナファクト0枚の真意でもある《忘却石》《危険な櫃》《爆積み》の「除去ファクト3兄弟」体制が基本。これらのリセットを定期的に行い、パーマネント主体のデッキを減速させるのが主な狙いだ。あとはデッキの補色に黒と赤を選んだ理由でもあり、ジェネラル《スラクジムンダール》である意味でもある《黒死病》《紅蓮炎血》か。これはこのデッキのメインと豪語するほど気に入っていて、最終的にはこれらとジェネラルの擁立を目指す。これらのために自分のライフを減らすカードはフェッチランド以外抜いてしまっているが、デッキのネタが割れてしまっているせいで多くの場合、自分のライフが一番少ない。そういう時はほぼ敗北なのだが、それで構わない。どう転んでも接戦が演出できるこれらのカードは本当にエンターテイナーだ。
これからもEDHにおけるコントロールの記事を多く書くと思う。多くの人に理解していただけると嬉しい。
それでは。
スラクジムンダール
クリーチャー(11枚)
ヴィダルケンの霊気魔道士
瞬唱の魔導士
粗石の魔導士
古術師
エレンドラの谷の大魔導士
造物の学者、ヴェンセール
悪意の大梟
概念泥棒
金粉のドレイク
フェアリーの忌み者
ぬいぐるみ人形
インスタント(34枚)
急かし
神秘の教示者
渦まく知識
吸血の教示者
衝動
疑念の影
天才のひらめき
青の太陽の頂点
天才の片鱗
神秘の指導
龍王の大権
時を超えた探索
白鳥の歌
もみ消し
紅蓮破
赤霊破
秘儀の否定
解消
不許可
夢の破れ目
精神壊しの罠
即時却下
誤った指図
意志の力
神秘の合流点
シムルガルの命令
徴用
サイクロンの裂け目
星の嵐
断層
幕切れ
混沌のねじれ
脱出
残忍な切断
ソーサリー(7枚)
商人の巻物
Demonic Tutor
吸心
宝船の巡行
毒の濁流
全ては塵に
苦痛の命令
エンチャント(3枚)
紅蓮炎血
黒死病
不実
アーティファクト(6枚)
師範の占い独楽
忘却石
危険な櫃
爆積み
殴打頭蓋
世界のるつぼ
プレインズウォーカー(2枚)
ソリン・マルコフ
精霊龍、ウギン
土地(36枚)
激浪の研究室
ほか
EDHの構築はその環境によって大きく異なることだろう。多くの人間は驚くはずだ。多めの土地はまだしもマナファクトは0枚、これでもかと積まれた高マナコストカウンター、フィニッシュ手段は0。事実ジェネラルで殴って勝つのがコンセプトだ。参考にならないのも無理はない。
私自身、高速コンボも使ってきたが、思ったことは「虚しい」ということだけだった。さらに言えば高速でなくとも、コンボで勝つことにもう飽きてしまったのだ。勝つのは簡単、簡単に勝つのはもっと簡単だ。難しく勝つとは何かという問答が私にコントロールを目指させた。この【スラクジムンダール】は一応の完成系を見せたコントロールの最終系だ。
まさに「自分専用」ともいうべきこのデッキは、口プレイをメインにしていると言っても良い。これはゲームにコミュニケーションを多く求める私にあったプレイングだ。ヘイトをコントロールをし、ゲーム中は基本的に相手の立場になって最善のプレイングを指摘することが多い。勿論然るべきヘイトコントロールも怠らない。こうした内輪環境が低速環境を呼び、結果高速コンボが生き残りにくい環境を作ることでこのデッキが存在できるという寸法だ。私と、それに賛同してくれる人々の甲斐あってか、コミュニティ内は1ゲーム最低1時間は余裕の超低速環境となった。
このデッキは勝てない。それもそのはずだ。勝ってしまったらこのデッキは「勝つデッキ」になってしまうからだ。この微妙な状態・心理を理解してくれる人はどれだけいるだろうか。「勝つことが必ずしもいいとは限らない」と言ったら少し分かりやすいだろうか。このデッキは最終的な勝者にはなり得ないが、ゲームをメイクするし続けることによって勝利以上の快楽を得ているのだ。
デッキ内容について触れていこう。クリーチャーに関しては「ウィザードバレット」を採用している。最初はパーマネントを最小限にしていく過程でクリーチャーは《瞬唱の魔導士》だけにして《倦怠の宝珠》の形もとったりしたが、《激浪の研究室》が強く、インスタントタイミングの圧力も十分といったことから最近のコントロールではこれをメインに回している。
除去はマナファクト0枚の真意でもある《忘却石》《危険な櫃》《爆積み》の「除去ファクト3兄弟」体制が基本。これらのリセットを定期的に行い、パーマネント主体のデッキを減速させるのが主な狙いだ。あとはデッキの補色に黒と赤を選んだ理由でもあり、ジェネラル《スラクジムンダール》である意味でもある《黒死病》《紅蓮炎血》か。これはこのデッキのメインと豪語するほど気に入っていて、最終的にはこれらとジェネラルの擁立を目指す。これらのために自分のライフを減らすカードはフェッチランド以外抜いてしまっているが、デッキのネタが割れてしまっているせいで多くの場合、自分のライフが一番少ない。そういう時はほぼ敗北なのだが、それで構わない。どう転んでも接戦が演出できるこれらのカードは本当にエンターテイナーだ。
これからもEDHにおけるコントロールの記事を多く書くと思う。多くの人に理解していただけると嬉しい。
それでは。
DN新設/「ガチカジュアル論争」
2017年3月16日 雑記FC2ブログより来ました。よろしければ同名のFC2ブログの方も参照ください。EDHの少し変わった理論を書き連ねてます。
あいさつがてら早速昔の記事を一つ。前のブログのさらに前に書いた「ガチカジュアル論争」だ。遊戯王やってた時期なのでその話も出てるし、《Mana Crypt》は20kだったらしい。
↓
EDHにおいても盛んに行われるガチカジュアル論争。これについて思う所がある。
カードゲームをしていく上でこういった意識の違いは避けては通れない。遊戯王をやっていた時にも「ガチデッカス」「ファンデッカス」といった蔑称があった。ポケモンには「マイオナ」といったマイナーポケモンで勝つことをただの自慰であると貶める意識が存在する。
私はあくまでもネタでこういったことを口にはするが(こういった不謹慎なネタが好きだからだ)、全てそんなものは存在しないと考えている。それはゲームを趣味といいつつ人生のその殆どをカードゲームに費やしてきた私の確たるロジックである。
遊戯王の話をしよう。よく区別されるのはガチ<=>ファンだがそもそも私は「ガチなファンデッキ」をたくさん持っている。ゲームの目的が勝利であって、それに向かう時点でそれはガチデッキであり、それに至る過程を工夫したのがファンデッキであるならそれらは共存しうるだろう。もし勝利に向かうことがないデッキすらファンデッキと呼ぶのならそれは間違っている。勝ちを放棄したデッキにはデッキとしての価値はない。かつて嫁デッキですといって霊使いぶち込んだだけのデッキを作ったことは誰もが一度は必ず通るはず。そのデッキのスペルをそれだけ強力にしたとしても、攻撃力1900の魔法使いを使っていない時点でデュエルへの冒涜であることにはかわりないということをガチデッカーは言っているのだろう。そこで好きなカードで勝つことを重視するのがファンデッカーである。論点が違うのだ。
ポケモンの話をしよう。よくマイオナ言われるのはパッと思いつく所でブイズパだろうか。確かにエーフィニンフィアあたりの性能はかなり高いし、それで勝つことも可能だろう。ただ本気の本気で勝ちを目指しに行くのにパーティに縛りを設ける必要がないだろうという、あまりにも当然なところで諍いは起きる。ゲームの楽しみ方はひとそれぞれ。これで勝つことを快感とする人もいれば、邪悪と咎める人もいるだろう。
これらからわかることがある。ゲームに対する意識は個人差がある。さらにそこには個人が思ってるよりも大きな隔たりがあるのだろう。かつて私が理解できない人類を拒絶した時のように、自らの価値観をあたかも世界の真理と錯覚する心の相対速度と言ったところか。
EDHではガチ<=>カジュアルといった住み分けにおいて論争が起きる。MtGというゲームはかなり資産による勝敗の支配率が大きい。遊戯王ぐらいならエクストラデッキの必須カードをある程度持っていればどんなデッキでもある程度の汎用性を得られるが、MtGにおける「それ」はあまりにもサイフの忠誠度を大マイナスにする奥義を必要とするからだ。デッキにデュアルランドを入れればライフが2点ぐらい余分に入手できる実感を得ることができる(ショックランドと比べて、だ)。ただしサイフには10kのダメージを受けてもらう。《Mana Crypt》は《太陽の指輪》の比ではない加速度をデッキにもたらしてくれる。ただし20kの代償でだ(当時)。こんなのは真面目にやってても敬遠したくなる。
世ではこういったマネーに糸目をつけない構築をガチ、有り合わせで作った構築をカジュアルと呼ぶのだろうか。もはやその定義ですら定かではないが、一つわかることは、どんな構築でもEDHである以上それはカジュアルだろうと。公式からしてみたらこれはカジュアルフォーマットである。また次元が違う故に「ガチのカジュアルデッキ」の存在も確認できる。エスパーカラーのジェネラルにおいて《むかつき》をうたずに《不朽の理想》を打つ意味はない。打っても勝利が決まらない7マナのソーサリーと打ったらそのターンに勝てる5マナのインスタントなら明らかに前者はカジュアルで後者はガチに見えるだろう。
この視点で見ればどちらかというと対比すべきはガチ<=>ネタであることがわかる。しかしこれもまた難しい。確かに《不朽の理想》は《むかつき》を打つデッキの下位互換のネタデッキであるが、どういう訳かこのデッキには存在意義がある。それこそが私がEDHという多人数ゲームに見出した可能性だ。デッキをわざと弱くすることはとても難しい。しかし、手にした力を捨ててまで勝利の美酒を遠ざけるという一見不合理に見える世界の先に本当にゲームを楽しめるものがあると感じれたし、このフォーマットはそれが許されるのだ。
私のデッキはズアーだが、むかつきは入っていない。それゆえに他プレイヤーに殴られなくなるかもしれない。実際はそんなこと全然なくて《ラノワールのエルフ》が毎回殴ってくるわけだが。それじゃなくてもEDHは他家との兼ね合いで成り立つゲーム。あえてゲームスピードを遅くする理由もあることは察してくれるはずだ。最終的に勝利を目指すことはプレイヤーの義務だが、カジュアルにおいては一回一回の勝利に意味はないのだ。
EDHは多人数戦であるがゆえにカジュアルであり、それゆえに「あえて」弱いデッキも許容されているということ。遊戯王やポケモンの例を最初にあげたがそういったゲームでのそういった論争は二人対戦ゲーム故収まる気がしないが、このEDHに関してはもう「住み分けろ」ってことで終着してると思うし、これ以上ゲームの価値を貶めて欲しくない。もし初ターンに友好色のギルドゲートを置くようなデッキ相手に2ターン目に《むかつき》打って勝って喜んでるならEDH向いてないということ。これは極端な例だが、私はかつて白黒の時、あまりにもデッキが弱いもんで生き埋めウーズに頼ることしかできず、絶望の勝利を拾ってきた。勝つから楽しいんだよ!と豪語してきた私ですらこの時このフォーマットの真意を悟れたぐらいだから、未来は明るいとは思うが。
カードゲームなんて課金は絶対に必要なんだからコミュニティ内で切磋琢磨するしかない。ポケモンにおける厳選の「時間」や各種カードゲームで強さを求めるための「金」はどうしても個人差が出てしまう。ある。ガチとそれ以下の差は確かにある。私は下位互換という言葉を知った時からそれが嫌いで、「何で○○が入ってないの?」は常に問答してきた課題だ。ゆえに自分はガチプレイヤーだと思う。ただトーナメントプレイヤーじゃないのでそういう意味ではカジュアルプレイヤーだ。今一度、このタイトルのような論争の意味のなさを考えて欲しい。どんなコンテンツでも、その価値を貶めるのは「厨」に分類される一部の盲目的な人間であるということに。
解決策は少ない。全員がこの違いを理解していて、かつ双方が理解にポジティブである必要がある。それは難しい。少しでも近づくためのこの記事なのだが、現実的には座るときにガチかカジュアルか宣言して、2種類のデッキを持っておくことだろう。
少しでも気持ち良くゲームができるために…
それでは。
あいさつがてら早速昔の記事を一つ。前のブログのさらに前に書いた「ガチカジュアル論争」だ。遊戯王やってた時期なのでその話も出てるし、《Mana Crypt》は20kだったらしい。
↓
EDHにおいても盛んに行われるガチカジュアル論争。これについて思う所がある。
カードゲームをしていく上でこういった意識の違いは避けては通れない。遊戯王をやっていた時にも「ガチデッカス」「ファンデッカス」といった蔑称があった。ポケモンには「マイオナ」といったマイナーポケモンで勝つことをただの自慰であると貶める意識が存在する。
私はあくまでもネタでこういったことを口にはするが(こういった不謹慎なネタが好きだからだ)、全てそんなものは存在しないと考えている。それはゲームを趣味といいつつ人生のその殆どをカードゲームに費やしてきた私の確たるロジックである。
遊戯王の話をしよう。よく区別されるのはガチ<=>ファンだがそもそも私は「ガチなファンデッキ」をたくさん持っている。ゲームの目的が勝利であって、それに向かう時点でそれはガチデッキであり、それに至る過程を工夫したのがファンデッキであるならそれらは共存しうるだろう。もし勝利に向かうことがないデッキすらファンデッキと呼ぶのならそれは間違っている。勝ちを放棄したデッキにはデッキとしての価値はない。かつて嫁デッキですといって霊使いぶち込んだだけのデッキを作ったことは誰もが一度は必ず通るはず。そのデッキのスペルをそれだけ強力にしたとしても、攻撃力1900の魔法使いを使っていない時点でデュエルへの冒涜であることにはかわりないということをガチデッカーは言っているのだろう。そこで好きなカードで勝つことを重視するのがファンデッカーである。論点が違うのだ。
ポケモンの話をしよう。よくマイオナ言われるのはパッと思いつく所でブイズパだろうか。確かにエーフィニンフィアあたりの性能はかなり高いし、それで勝つことも可能だろう。ただ本気の本気で勝ちを目指しに行くのにパーティに縛りを設ける必要がないだろうという、あまりにも当然なところで諍いは起きる。ゲームの楽しみ方はひとそれぞれ。これで勝つことを快感とする人もいれば、邪悪と咎める人もいるだろう。
これらからわかることがある。ゲームに対する意識は個人差がある。さらにそこには個人が思ってるよりも大きな隔たりがあるのだろう。かつて私が理解できない人類を拒絶した時のように、自らの価値観をあたかも世界の真理と錯覚する心の相対速度と言ったところか。
EDHではガチ<=>カジュアルといった住み分けにおいて論争が起きる。MtGというゲームはかなり資産による勝敗の支配率が大きい。遊戯王ぐらいならエクストラデッキの必須カードをある程度持っていればどんなデッキでもある程度の汎用性を得られるが、MtGにおける「それ」はあまりにもサイフの忠誠度を大マイナスにする奥義を必要とするからだ。デッキにデュアルランドを入れればライフが2点ぐらい余分に入手できる実感を得ることができる(ショックランドと比べて、だ)。ただしサイフには10kのダメージを受けてもらう。《Mana Crypt》は《太陽の指輪》の比ではない加速度をデッキにもたらしてくれる。ただし20kの代償でだ(当時)。こんなのは真面目にやってても敬遠したくなる。
世ではこういったマネーに糸目をつけない構築をガチ、有り合わせで作った構築をカジュアルと呼ぶのだろうか。もはやその定義ですら定かではないが、一つわかることは、どんな構築でもEDHである以上それはカジュアルだろうと。公式からしてみたらこれはカジュアルフォーマットである。また次元が違う故に「ガチのカジュアルデッキ」の存在も確認できる。エスパーカラーのジェネラルにおいて《むかつき》をうたずに《不朽の理想》を打つ意味はない。打っても勝利が決まらない7マナのソーサリーと打ったらそのターンに勝てる5マナのインスタントなら明らかに前者はカジュアルで後者はガチに見えるだろう。
この視点で見ればどちらかというと対比すべきはガチ<=>ネタであることがわかる。しかしこれもまた難しい。確かに《不朽の理想》は《むかつき》を打つデッキの下位互換のネタデッキであるが、どういう訳かこのデッキには存在意義がある。それこそが私がEDHという多人数ゲームに見出した可能性だ。デッキをわざと弱くすることはとても難しい。しかし、手にした力を捨ててまで勝利の美酒を遠ざけるという一見不合理に見える世界の先に本当にゲームを楽しめるものがあると感じれたし、このフォーマットはそれが許されるのだ。
私のデッキはズアーだが、むかつきは入っていない。それゆえに他プレイヤーに殴られなくなるかもしれない。実際はそんなこと全然なくて《ラノワールのエルフ》が毎回殴ってくるわけだが。それじゃなくてもEDHは他家との兼ね合いで成り立つゲーム。あえてゲームスピードを遅くする理由もあることは察してくれるはずだ。最終的に勝利を目指すことはプレイヤーの義務だが、カジュアルにおいては一回一回の勝利に意味はないのだ。
EDHは多人数戦であるがゆえにカジュアルであり、それゆえに「あえて」弱いデッキも許容されているということ。遊戯王やポケモンの例を最初にあげたがそういったゲームでのそういった論争は二人対戦ゲーム故収まる気がしないが、このEDHに関してはもう「住み分けろ」ってことで終着してると思うし、これ以上ゲームの価値を貶めて欲しくない。もし初ターンに友好色のギルドゲートを置くようなデッキ相手に2ターン目に《むかつき》打って勝って喜んでるならEDH向いてないということ。これは極端な例だが、私はかつて白黒の時、あまりにもデッキが弱いもんで生き埋めウーズに頼ることしかできず、絶望の勝利を拾ってきた。勝つから楽しいんだよ!と豪語してきた私ですらこの時このフォーマットの真意を悟れたぐらいだから、未来は明るいとは思うが。
カードゲームなんて課金は絶対に必要なんだからコミュニティ内で切磋琢磨するしかない。ポケモンにおける厳選の「時間」や各種カードゲームで強さを求めるための「金」はどうしても個人差が出てしまう。ある。ガチとそれ以下の差は確かにある。私は下位互換という言葉を知った時からそれが嫌いで、「何で○○が入ってないの?」は常に問答してきた課題だ。ゆえに自分はガチプレイヤーだと思う。ただトーナメントプレイヤーじゃないのでそういう意味ではカジュアルプレイヤーだ。今一度、このタイトルのような論争の意味のなさを考えて欲しい。どんなコンテンツでも、その価値を貶めるのは「厨」に分類される一部の盲目的な人間であるということに。
解決策は少ない。全員がこの違いを理解していて、かつ双方が理解にポジティブである必要がある。それは難しい。少しでも近づくためのこの記事なのだが、現実的には座るときにガチかカジュアルか宣言して、2種類のデッキを持っておくことだろう。
少しでも気持ち良くゲームができるために…
それでは。